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縦横無尽に生きているはずのパンクもパンが欲しくて並ぶのだ。

変人は、普通でないというその事実そのものによって、逆説的に普通とは何かを指し示すことができる。そうして、それによって人を感動させることができる。

人を感動させるのは、決して変わった歌や言葉ではない。意識の深層にある、誰もが知っているあのメロディや言葉である。芸術に前衛はありえない。真の芸術とは保守のことである。

andi-b:


yellowblog:
あー? - urone(urone)
andi-b:


suyhnc:

noriyoshi:
シンクロ!
andi-b:

sleeping beauty : Jiro the Madcat (via affacino)

andi-b:

sleeping beauty : Jiro the Madcat (via affacino)
諸君、凡人でありたまえ。凡人であろうと願う心の中に、高貴さは生まれる。人のことを理解しようとする心は生まれるのである。諸君、変であろうとするな。愛とは、お互い変だと思いあっている心が、普通になじむことを言うのであり、その逆ではありえない。勇気とは、その努力のことを指す。絶望とは、それができないことを言う。高貴さとは、それでも人を理解しようとする心のことであり、神とは、通い合う気持ちの究極(Public Image Limited)を示した言葉である。

tasteful:

dannnao:

kml:

petapeta:

新聞は死にますか
雑誌は死にますか
テレビは死にますか
ネットは死にますか
私の大切なtumblrも
みんな逝ってしまいますか
大丈夫。みんな死にますし、サンボマスターは君に語りかけます。
夢を見続けたいなら、
やらなければならない事が山ほどある。
どんなに時間がかかっても、次の自分を待っていてくれるのは、
他でもない自分自身なのだ。
その絶望の深淵の中から自分を見つめ、人生を見つめることは、さぞつらいことであろうと思う。
しかし、そのような深淵の底でこそ、真物が作られる。
波の間に間に浮かぶようなものから、われわれは何ものをも期待しはしない。

福永武彦『草の花』(新潮文庫) 本多顕彰の解説

(via nanashino) (via yuco) (via haru012)

(via tasteful)
実験的な音楽と多様なジャンルの要素を盛り込んだブレイク・ビーツユニット「□□□(クチロロ)」に、新メンバーとしていとうせいこうが加入することが明らかになった。
想いの強さというのは瞬間的な最大値ではなく継続性でこそ測れる訳で、まだホワイトバンドつけてる人がいたり、1年後にアイコンが緑のままの人がいたらとても立派だと思うけど、そんな人たぶんいないよね。
Twitter / うーさー (via kush) (via kml) (via dannnao) (via snowlight)

でもね、そんなに残念がるならさ、DOLLやスタジオヴォイスに代わるものを、自分で作ればいい。

こんなものがあればいいなあと思ったなら、自分で作ればいいのだ。自分ひとりじゃ無理だったら、友達と一緒に組んで取りかかればいい。

DOLLだって、元々はZOOという、ペラペラのミニコミだったよ。森脇さんが音楽ライターとしてかけ出しの頃、もっともっと自分の言いたいことがあって、自腹で作ったんじゃないかな。
ロッキング・オンだって、最初は渋谷さんとその友人で立ち上げたミニコミだった。自費出版だったよ。私もその頃、京都にそういった自費出版のミニコミをおいている小さな書店で手に取り、購入した記憶がある。

スタジオヴォイスは確かに企業が発行していたものだった。母体はハナエ・モリさんの会社だったかな。でも「こういった雑誌を作りたい」と、企画書をあげたヤツが絶対にいるはずだ。それは個人の思いこみだったかもしれないし、つきつめれば究極の自己満足だったかもしれない。

思えばTwitterだって、いや、グーグルだって、マイクロソフトだって、個人や数人の仲間で始めた「こんなものがあればおもしろいのに」といった気持ちからスタートしたものだったろう。夢というよりも、もっともっと小さなレベルの”思い”からスタートしているに違いない。そして思っているだけでなく、実際に始めること、作ることをしただけのことだ。


沈黙は、罪だよ。